虹の橋ウラ話

虹

paw1.gif (869 bytes)犬は虹の橋をわたるのか?

アメリカやカナダの友人の愛犬が亡くなると、よく「うちの子が虹の橋へ旅立ちました」で始まるお知らせをいただくことがあります。
インターネットのおかげで今ではすっかり世界中で有名になってしまった「虹の橋」の詩は、日本でも知っている人が多いと思います。内容は簡単に言うと「動物たちは亡くなると虹の橋へゆく。そこは青い草原が広がり、花々が咲き、とても美しいところ。ここで動物たちは、地上の飼い主が一生を終えて迎えに来るのを待つ。再会した飼い主と動物たちは、一緒に天国へと旅立つ」というもの。

作者は不詳ですが、微笑ましい内容が人気を呼んであちこちでいろんなバージョンが作られ、広まっています。でも、なんでそういう話が作られたのかについて、あまり語られることはないと思います。そこで、ここでちょっとウラ話。

アメリカやカナダの犬友達の間でよく話題になり熱〜い議論に発展するものの一つに、「犬は死んだら天国にいくのか?」というトピックがあります。家族でかわいがっていた愛犬が亡くなったとき、子供たちから「ワンちゃんは天国へ行くの?」と聞かれた親が返答に困ることがあるのです。それは、キリスト教では人間だけが魂を持ち、魂を持った者だけが天国へ行ける可能性があるとされているから。動物には魂がないとされているので、犬も猫もフェレットもウサギも、みんな天国へは行けません。でも、それを子供に伝えたら泣いちゃいますよね。「ワンちゃんは何もわるいことしてないのに、なんで天国へ行けないの?私が天国に行っ たら、ワンちゃんに会えないの?」と泣かれたら、なんて言っていいのやら。

そこで登場するのが、虹の橋。
魂のない動物たちにとっては天国行き直行便は飛んでないけど、虹の橋で飼い主が来るのを待って、魂を持った人間が保護者として同伴するならめでたく天国まで一緒にたどりつける、というわけ。ひじょ〜に苦しい言い訳だけど、これなら一応キリスト教の教義に反してないし、子供も納得するでしょう。宗教によっていろいろ考え方が違うので、大変ですね。

ちなみに、スピリチュアルにおける動物の死後の考え方は虹の橋の話によく似ています。「亡くなった動物たちは、飼い主が亡くなるまで幽界で待ち続け、再会したら一緒に暮らす」というもの。虹の橋の詩は、これが元になっているのでしょうか。

虹の橋のお話は素敵だけど、私は仏教徒なので虹の橋は信じてません。

paw1.gif (869 bytes)犬は天国へいくのか?

アメリカに住んでいた時に学んだことの一つですが、宗派によってクリスチャンにもいろいろあり、すご〜く厳格な人々もいれば、わりと自由な発想を持つことを許されている人々まで様々。ここで注意したいのは、厳格タイプは教義に忠実なので「動物(ペットを含む)が天国にいくなんて、とんでもない!」と考えていることです。輪廻転生もあり得ないとされているので、「またうちの子に生まれ変わってくれるかしら」なんてことは、とても口に出して言えません。彼らの学校の生物の授業ではダーウィンの進化論を教えないし、たとえ愛犬家であっても自分の犬が亡くなった後は天国に行くとは考えてません。

それに対してゆる〜いクリスチャンは、「自分が死んだとき、先だった愛犬がむこうで待ってってくれたらいいな」と思っている人が多く、こういうタイプの人々に虹の橋が受け入れられているようです。このタイプと厳格タイプが「犬は天国へいくのか?」について議論を始めたら、ものすごい火花が散ることは確実。私は先に言ったように仏教徒なので、火花が飛んで来ない安全地帯に避難してディベートを観察してました。内容は面白いけど、結論は決して出ない不毛な議論に終わることが常です。

キリスト教では人間はみな罪をもって生まれてくるので、この世においてその罪を贖い、赦されたものが天国へ行くというシステムのようです。が、動物はもともと罪をもって生まれてこないので、結果として赦されることもあり得ないわけです。つまり、最初から天国行きシステムから外されているのです。

だけど、この世の全ての生き物を創造したのは神様なのに、天国の入り口に「犬立ち入り禁止」の札を立てるっていうのはねえ。。。 ま、これまで誰も天国へ行ってその様子をビデオ撮りしこの世に持ち帰った人がいないので、証明するものは何もありません。臨死体験をした人々の証言も、彼らが「見てきた」ものなので、物的証拠にはなりません。死んでからのお楽しみ、というわけですね。

paw1.gif (869 bytes)犬に魂はあるのか?

犬に魂はあるのか?

これも厳格タイプのクリスチャンからは「動物に魂などない!」と𠮟責されてしまうので、ご法度な質問です。でも、ゆる〜いクリスチャンは「ひょっとしたら、せめてペットの動物なら魂はあるんじゃないのか?」と考えている人が多いようです。人間の食用になる牛とか豚とか家畜は魂などないけど、人間と暮らし人間に愛されるペットの動物なら魂があってもいいじゃないか、という考え方みたいです。この差別化はいかがなものか、と私は思いますが、ゆるクリスチャンはこれで十分納得している様子です。こういう考え方なら、虹の橋もあり得るわけでしょう。

そもそも聖書には、動物の魂についてきちんと解説がされていません。聖書は人間の贖罪がテーマなので、動物のことは興味の対象外だったと思われます。それ故に読んだ人によっていろいろな解釈を許すことになり、混乱を招いたのかもしれません。「神は自分に似せてアダムを創り、精霊を吹き込んだ。そのアダムの肋骨からイブができたので、イブも精霊がある。でも、動物には精霊を吹き込んでないから、動物には魂がない」というのが、一般に広まっている見解のようです。

しかしこの考え方は聖職者にも疑問を投げかけるようで、過去には動物の守り神として有名なアッシジの聖フランチェスコや、動物と人間の守護神 St. Martin de Porres は、「この世の全てのものには魂があり、神の被造物として一つの家族である」と言って教会側から非難されかなりヤバい立場に置かれたようです。

日本の神道はアニミズムで、全てのモノに霊魂が宿ると考えてますから、犬にだって魂はあります。また日本の仏教ではそもそも、人間と動物の魂の差別化というものがありません。この世で悪道の限りを尽くした人間は、畜生道に生まれ変わるなどと言われます。つまり、次の世では動物に生まれたり、その次には人間に生まれたり、DNAに囚われずフレキシブルに流れてゆくのです。ということで、犬にも魂があるということになります。

ネイティブアメリカンやネイティブカナディアンも、人間や動物だけでなく森や川、山など生命を持たないものにも魂があると考えているようです。インディアンの族長がコヨーテに生まれ変わる話とか、人間と動物の魂の差別化は存在しません。その点は日本の神道や仏教の考え方に近く、日本人にとっては彼らの伝説はとても親しみやすいものであると言えるでしょう。

スピリチュアリズムも先に述べたように、動物にも魂があるとされています。その他の宗教については詳しく書きませんが、動物の魂を認める宗教はたくさんありますので、興味のある方は調べてみるとおもしろいと思います。

私個人としては、動物にも魂があると考えています。そして、TABIはあの世から私を見守ってくれていて、私がこの世を去る日が来たらきっと迎えに来てくれると信じています。そうなるといいな。

(2017年5月19日)

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