最期の一日
(2017年4月19日)

ママはここにいるよ

  1. お別れのときがきた

  2. 三人で川の字

  3. 最後の晩餐

  4. 旅立ちの準備

  5. 最後のお散歩

  6. 先生が来たよ

  7. 最後のドライブ

  8. 白い煙

  9. TABIのにっき

  10. Obituary

paw1.gif (869 bytes)お別れのときが来た

今年の1月に膀胱炎を患い、治療に使った抗生物質の副作用が強くて激やせしてしまったTABIは、私達の努力もむなしく体重と体力を完全に回復することはできませんでした。 さらに3月初めに左肩の骨に腫瘍が見つかり(骨肉腫との診断)、部位からいって手術は不可能、余命三週間の告知を受けていました。 緩和ケアを続けていましたが、腫瘍は大きくなるばかりでついに立つこともままならなくなり、一日のほとんどをベッドで過ごすように。 骨がんの痛みというものは通常の痛み止めは効かないので、痛みで泣き続けるか、 強力な鎮痛剤で食事もとらず植物人間のように眠り続けるかのどちらか。そんな状態で生かしておくのは不憫なので、 私達夫婦にとって苦渋の決断でしたが、獣医さんに安楽死をお願いすることにしました。

フェンタニル
獣医さんが貼ってくれたフェンタニル・パッチ(青い包帯の下にある)
モルヒネの100倍の強さと言われる合成オピオイド

転勤でこの地方に引っ越してきてから何年もTABIを診てくれたDr. B にお願いしたいと、私達夫婦は意見が一致しました。先生は、三年前に出産・子育てのためフルタイムで勤務していた動物病院をいったん辞め、昨年夏から臨時として同じ病院に戻り、またTABIの主治医になってくれました。TABIが一番なついていた先生です。

復活祭休日明けの火曜日に病院に電話を入れたら、先生はその週は木曜日だけ勤務で、予約はいっぱいとのこと。TABIの様子ではそんなに待てないと思ったので、前に我が家の隣に住んでいて愛犬を自宅で安楽死させたことのある人に電話で相談。彼女は「うちの先代犬がかかっていた先生は、とてもいい先生だから」と、その往診専門の先生を紹介してくれました。電話でその先生に相談したところ、聞いていた通りとても思いやりのある方で、動揺している私を包むように話しかけてくれました。そしてなんと、Dr. B が今では週に何度かその往診専門の先生のもとでも勤務していて、たまたま翌日の水曜日なら往診予約の空きがあることがわかりました。すごい偶然にビックリしている間に、今度はDr. B から電話があり、水曜日の午後一時の予約をとりました。午前九時も空いていたのですが、そんな早くではその後の一日が長すぎるし、お別れをする時間をたっぷりとりたかったのです。

不思議なことに、それまでピーピー泣いてばかりいたTABIが、予約の電話を切ったころにはすっかりおとなしくなっていました。自分の運命を悟ったのでしょうか。その後もオシッコやウンチで外に出たいと訴えるほかは、泣かずに本当におとなしくしていたのが不憫でした。TABIは高齢となってもいわゆる痴呆の症状は全くなく、最後まで頭はシッカリしていました。立てなくなってからも、ベッドの上でおねしょパッドにオシッコやウンチをするのを嫌がり、外に出して欲しいと必死で訴える子でした。自分の周囲でなにが起きているか、完全に把握していました。うれしい時は、尻尾をブンブン振って応えてくれました。

TABIパパの勤務先に電話すると、「今すぐ帰るから」と言って本当に速攻でうちへ帰って来ました。私達夫婦は寝ているTABIを囲んで「ごめんね、治してあげられなくて。でも、すぐ楽になるからね」と、柔らかいTABIの毛をなでながら泣きました。

旅立ちの場所は、大きな窓とパティオのドアからTABIが大好きなバックヤードが見えるリビングルームに決めました。天窓からは、青い空と白い雲が見えます。私達夫婦は、先生たちが窮屈な思いをしないように家具の配置を変え、きれいに掃除しました。今年は春が遅く、庭にはほんの少しの花しか咲いていなかったので、私は花屋さんでたくさん花を買ってきてあちこちに飾りました。花屋さんでは、最近飼い始めたゴールデンの子犬が私たち夫婦をむかえてくれ、慰めになりました。

お空が見える

昨年の夏に腎不全と診断されてから、自宅での皮下点滴を毎日続けていたTABI。こんなに急にお別れが来るとは思わず、私はいつものようにオンラインで点滴溶液をケースごと注文したので、半ダースも余っていました。注射針が二箱、点滴用チューブやユニットもそっくりそのまま未開封でたくさん余ってます。翌日用に取り分けた残りは、先生のクリニックに寄付することにしました。他にも獣医さんからの処方箋薬でまだ手をつけてないものや、開けていないサプリメントなど、まとめて寄付できるように手提げ袋二つに入れて玄関先に置きました。

薬品類

ここのところ、あまり食べ物がのどを通らなかったTABI。
おなかが空っぽのままあの世へ送るのはかわいそうなので、なにか食べてくれそうなものを探しに買い物に。大好きだったペットショップで缶詰のトライプを買い、肉屋さんで牛ステーキ肉やレバー、犬用生食の店で豚の膵臓のミンチを買ってきました。あまりいろいろ食べさせて、最後になって腹痛や下痢で苦しませてはかわいそうなので、獣医さんからもらった強力プロバイオティクスを食事と一緒に与えることに。その日の夕食は、これまで流動食を大さじ半分くらいしか食べなかったTABIが、トライプもレバーも膵臓ミンチも、なんでもパクパク食べてくれたのでビックリ。その後に出たウンチも、全く健康便。

「このまま回復するんじゃないか?」と、TABIパパ。
今なら予約をキャンセルできる。。。という思いが、私たち夫婦の頭によぎりました。

でも、TABIの肩の腫瘍は大きく岩のように盛り上り、触ると熱をもって燃えるように熱い。時間の問題なのは、明白です。
「この子をこれ以上苦しめるわけにはいかない」と、私達は目と目で合意しました。

その夜、いつものようにTABIをベッドごと私達の寝室に運び、TABIパパはTABIが眠りに落ちるまでTABIのそばに寝そべってTABIをなでていました。パパといれかわりに私はTABIのそばに座り、小さな寝息を立てて眠るTABIを夜明けまで、ずっと見守りました。

おやすみ
最後の夜

paw1.gif (869 bytes)三人で川の字

ほとんど熟睡できなかった私達。

TABIパパは有休をとって家にいてくれたのですが、当日は朝六時までには起きて、私達はいつものようにTABIに皮下点滴をしてあげました。最後の日まで点滴をしなくても。。。と思うかもしれませんが、脱水状態だと血管を探すのが難しく、これまでもTABIは血液検査の採血で痛い思いをさんざんしてきています。安楽死の薬を静脈に入れるのがスムーズにいくようにと願いを込めて、最後の点滴をしました。いつものように、TABIはおとなしくされるがままでした。

それから、私達のベッドにTABIをあげて三人で川の字で寝ました。
あの子は元気なころは私達のベッドに飛び乗って一緒に寝ていましたが、いつも掛布団の上に寝転んでいました。今回は、掛布団をめくってシーツの上に寝せ、まるで赤ちゃんにお母さんが添い寝するような格好で寝てみました。

川の字
「川の字って、いいね」

TABIが子犬のころに戻ったみたいな、安らかで幸せな気持ちに包まれました。このまま時間が止まってくれたらいいのに。。。と、どれほど願ったことか。

paw1.gif (869 bytes)最後の晩餐

先生の予約は午後一時。お昼ちょうどに食べさせて、先生方が来る頃にもし吐いたりするとかわいそうなので、ちょっと早めに午前十時ごろまでに最後のご飯を食べさせることにしました。TABIパパが前日、肉屋さんで吟味して買ってきた牛のフィレミニヨン。

お肉

昨年膵臓炎を患ってから、ずっと私の手作りの低脂肪療養食(脂肪分7%)を食べてきたTABI。でも今日は、療養食なんかクソ喰らえ!ということで、大好きな無農薬バターをたっぷり使ってパパがレアに焼いてくれました。TABIは、さすがに全部は平らげなかったけど、目を丸くして美味しそうに食べてくれました。

美味しくて良かったね
美味しくて良かったね

「これだけ食べられるなら、回復するんじゃないか?」と、TABIパパ。
またしても、今なら予約をキャンセルできる。。。という思いが、私たち夫婦の頭によぎりました。

だけど、この束の間の食欲がいつまで続くのか?

ほどなくして、またTABIの足が拘縮し、その痛みで悲しげに泣き始めました。
もうこれ以上TABIの体がもたないのは、誰の目にも明らか。やはり、送ってやることにしました。

paw1.gif (869 bytes)旅立ちの準備

今日はTABIが主役の日。
私達は、TABIがいい気分で旅立てるようにいろいろ準備しました。 まず私達は、犬をテーマに服を選びました。TABIパパは、TABIがアメリカのアジリティ地区大会へ出た時のシャツ。私は、犬の刺繡をしたチノパンツに、ダックス模様の靴下。犬のブローチや肉球のピアスも身につけました。

アジリティシャツ

犬尽くし

TABIの死に装束には、TABIお気に入りのハロウィーン衣装を選びました。これはTABIがまだ若い時に私が手作りしたもの。今でこそ犬の衣装はどこでも売られてますが、当時はなかなか見つからなかったので、一生懸命あの子のために作ったのです。セーターとケープはカンタンでしたが、胸につけるスーパーヒーローのロゴが難しく、赤と黄色のフェルトをいっぱい買って来て何度も失敗しながら、徹夜で仕上げたのを覚えています。他にもTABIはいろいろ衣装があるのですが、これが一番気に入っていて、周囲からも大好評でした。

スーパーパピー

それと、やせて寒がりになってしまったTABIが寒くないように、純毛の毛糸で私が編んだセーターをかけてやることにしました。

セーター

一緒にお供をするオモチャは、Bobo兄弟を選びました。これはもう何代目かのBoboですが、TABIはこれが大好きで、よくパパととりっこして遊んだものです。それと、大好きなマシュマロを袋に詰めてオヤツとして持たせることにしました。

お気に入り
「ぼくたちお供します」

日本のお友達、萩丸さんがTABIのために素敵な俳句を詠んでくれました。
「花筏 たびする君を 送るらむ」
花筏とは、桜が川の上に散って水面をびっしりおおった状態をイカダに見立てたもので、春の季語だそうです。ちょうどこちらの桜が咲くころに旅立つTABIに、ぴったり。美しい日本語を、また一つ学びました。この一句を筆ペンで便せんにしたため、小さく折りたたんで火葬の前にTABIの胸元へ入れてやることにしました。 萩丸さんとこのグレン君とはTABIが子犬のころからサイバー友達。グレン君は昨年、17際の長寿を全うしてお星さまになりました。きっとお空でTABIを出迎えてくれるでしょう。

桜
我が家の庭の八重桜、「白妙」

TABIにはこれまで、私の手作りを含めてたーくさんいろいろなベッドを与えてやりました。が、なんといっても一番のお気に入りは、アメリカで買ってきたORVISのベッド。TABIがお店で自分で選んだものです。この三年間、どこへ行くにもこのベッドと一緒でした。このベッドに寝かせて、送ってやることにしました。

ベッド
このベッドにはたーくさん思い出が。

TABIのベッドには、おねしょパッドを一枚しきました。犬は亡くなるときに、オシッコやウンチを出すことがあると聞かされてたからです。これであらかた準備が整いましたが、TABIパパが「もうひとつ、やらなきゃいけない」と言って、私にiPadを渡しました。

paw1.gif (869 bytes)最後のお散歩

お散歩が三度の飯より好きだったTABI。
最近は肩の腫瘍のため立つこともままならず、最後にみんなで散歩に出たのは去年の暮でしょうか。今日は遠くへは行けないけど、TABIパパがTABIを抱っこして我が家の敷地内をぐるりと歩いて回ることにしました。そして、私が動画のカメラマン。

お散歩
「わーい、お散歩!」

桜TABI
まずは、満開の桜の花とツーショット。

以前住んでいたお隣さんは犬好きで、TABIのために犬用クッキーを車庫にいつも用意してくれていました。TABIはお隣の車庫が開いていると、まるで自分ちみたく入って行ってちょこんと座ってすましていたものです。今は違う家族が住んでおり、犬はご法度ですが、最後にTABIは車庫のドアに 鼻でキスしてお別れしました。

バイバイ

柳
お気に入りのお昼寝スポット、柳の木の下。ちょっと寝てみたり。

猫フンだいすき〜
よくTABIが猫フンを掘り出して食べた、ハーブガーデン。
昨年の秋に植えたニンニクが育ってます。

思い出深い庭を一巡して、うれしかったんでしょうかTABIはニコニコしていました。ここ最近は苦痛のため笑顔が消えていたあの子に、最後に笑顔が戻って私達夫婦はすごくうれしかったです。

paw1.gif (869 bytes)先生が来たよ

お昼過ぎにはもうやるだけのことはやり、すっかり準備ができたので、TABIをリビングに寝かせて私たち夫婦がまわりを囲み、最後の時間を一緒に過ごしました。喉が渇いている様子だったので、ココナツウォータ−を注入器で飲ませてやりました。ここ数日は、ふつうの水は嫌って飲まないのになぜかココナツウォーターは気に入ってどんどん飲んでくれたのです。こんなに好きなら、もっと前から飲ませてやればよかったね、と夫婦でまた涙。

ココナツウォータ

私達はTABIの頭や体をなでながら、楽しかった昔を語り合いました。あの時間はもう戻らないけど、いい思い出がいっぱいできたのは幸せだったよね。。。と話しながらも、二人はつい時計を見てしまいます。「今からでも奇跡が起こって、この子が回復してくれればキャンセルできる」という思いは、どうしても頭の片隅に残っています。この時が一番つらかったです。

午後一時過ぎ、先生とアシスタントが乗ったミニバンが我が家のドライブウェイに停まりました。私達は玄関先で出迎えて、短く挨拶をかわしました。みな、いつもの笑顔はありません。長い間診てきた患者を安楽死させるのは、先生も辛いのです。私は、玄関に置いてあった皮下注射溶液や余った薬類を渡し、寄付しました。TABIの遺したものが、よそのワンちゃんの命を救う助けになってくれれば幸いです。

薬品類
二袋にいっぱい。すごく重かった!

さて実務的な話ですが、病院に連れていって安楽死させる場合も自宅で行う場合も、支払いは事前に済ませるのが普通のようです。直後では、とてもお金のことを考える余裕がないし、酷な話です。私達も、支払いの手続きはアシスタントにすぐやってもらいました。またサービスとして、この往診専門の先生からかかりつけの動物病院や他にもかかっていた獣医さんへ、亡くなったことを連絡してくれるとのことでした。TABIはカイロプラクティック獣医さんや、ハリ治療獣医さん、がんにかかったときに診てもらった専門の先生、ホリスティック獣医さんなどいろいろお世話になったので、それぞれ伝えてもらうようお願いしました。愛犬を亡くした飼い主にとって、こうした連絡事項も辛い作業なので、こ のサービスはとてもありがたかったです。

リビングに入ると、壁に一杯飾ったTABIのアジリティ・チャンピオンシップの写真やタイトル・トロフィーを見ながら、昔話に花が咲きました。アシスタントの女性は、以前飼っていたシェルティとアジリティをやっていたそうで、とても興味をもって眺めていました。また先生は、「最初にTABIが病院へ健康診断に来た日のことを、今でもよく覚えているわ。すごく元気いっぱいで、とても12歳に見えなかった」と、なつかしそうに語りながらTABIの頭をなでていました。TABIが猫フンを食べて大腸炎になったときのことや、数々の武勇伝を話しながら、TABIがいかに充実した犬生を送ってきたかをしみじみ思い出しました。涙はなく、みなの顔には微笑みが。ひとときの、なごやかな時間でした。

そして先生とアシスタントは、薬品と医療器具の入ったケースを開けました。 まず、先生は鎮静効果のある薬を注射します。背中の、これまで私達が皮下点滴を入れていた場所です。薬が入ると、TABIは軽く目を開けたままクークー寝息を立て始めました。しばらく待って、TABIの意識が完全にもうろうとしたのを確認してから、今度は左後ろ足に静脈注射します。シェーバーで足の毛を剃り、血管を確認してカテーテルを入れます。今日は順調に血管が出ました。TABIが痛い思いをしなくて良かった、と思いました。そしていよいよ、安楽死の薬であるペントバルビタールを注入します。

薬が入ったとき、私はTABIの前足をしっかり握り、「ママはここにいるよ」と声をかけました。なにも聞こえないだろうけど、手のぬくもりは感じてくれると思ったからです。

TABIの息が小さくなり、フッと聞こえなくなりました。若いころと変わらない澄んだ左目は、もう何も見ていません。夢見るような、穏やかな顔でした。その瞬間、不思議なことに 、悲しみではなくなんともいえない安らかさが胸にわきあがってきました。それまで張りつめていた空気が消え、フワフワとやわらかい白い光に包まれたような気がしました。「この子は、今苦しみのない世界にいるのだ」と、直感しました。あとでTABIパパに聞いたら、彼も全く同じ体験をしたようです。

しばらく誰も何も言わず、静かな時間が流れました。そして先生は聴診器をとり、TABIが着ているセーターをやさしくめくって心音を確認。「He's gone.  ご臨終です)」と言って、TABIの目をそっと手で閉じてくれました。先生の頬には、涙が流れていました。

2017年4月19日午後1時40分  永眠

17歳4ケ月3週間と1日。
あと一週間で、17歳5ケ月でした。
TABIは、ママが作ったスーパーパピーのハロウィーン衣装を身に付けて、大空へ飛び去ってゆききました。

paw1.gif (869 bytes)最後のドライブ

私は以前にこのサイトに載せた記事のように、TABIをいずれは土に還してやりたいと思っていました。でも、今住んでいる地域の条例では自宅の敷地内に動物の死骸を埋めることは禁じられているため、住民はペットが亡くなったら火葬するのが普通。なので私達も、ペット用の火葬場でTABIを荼毘にふすことにしました。獣医さんから紹介されたペット用の火葬場は、我が家からは車で一時間半の距離がありちょっと遠いのですが、家族経営の小さいけど良心的な火葬場だとの評判。事前に電話で問い合わせてみたら、とても親切な対応だったので、そこに決めました。

通常は、動物病院でペットの亡骸を一時保存してくれ、週に何度か決まった日に火葬場の人が来て何頭分かまとめて持ち帰り、火葬します。とくにペットのお骨はいらない、という飼い主の場合は、火葬場では何頭分かまとめて火葬し、お骨は処分され、飼い主のもとには戻りません。その場合の料金はとても安いので、この方法は一番人気らしいです。でも、かわいいペットのお骨はやはり置いておきたいという飼い主もいるので、その場合は一頭ごとに火葬され、お骨にして骨壺につめたもの が病院に配達され、連絡を受けた飼い主が病院までとりにいくという手はずになっています。この場合は、ペットの体重につきいくら、という料金設定になっていて、さらに骨壺の料金を合わせたものを支払うのでちょっと高めです。

私達はもちろん、TABIのお骨を戻してもらうことにしました。そして、子犬の時からずっと一緒だったTABIを知らない人の車に乗せるのは忍びないので、火葬場まで私達が連れて行くことにしました。あらかじめ火葬場に電話でそれが可能かどうか問い合わせたら、「もちろん、いいですよ」と快く了解してくれました。また、あの子の好きだったオヤツやおもちゃなども一緒に火葬してもいいか聞いたら、「金属以外なら大丈夫」とのことでした。そこで、亡くなったときのまま、大好きだったベッドと一緒に火葬してもらうことにしました。 この火葬場の予約は、安楽死の前日に済ませておきました。当日や安楽死の直後では、とてもじゃないけどそこまで気が回らないと考えたからです。

先生たちが帰った後、私達夫婦はまだ暖かいTABIの毛皮に顔をうずめて泣くだけ泣きました。また目を開けて、ひょっこり頭を起こすんじゃないかとも思ったけど、じっとしたままのTABI。火葬場の予約時間がせまっているので、涙をふいて出かけることにしました。最後のドライブにあの子が窮屈な思いをしないように、大きい方の車を用意して、カーゴにそっと乗せて出発。

最後のドライブ
お出かけだよ

若くて元気だったころは、カーゴのドアを開けるとヒョイ!と軽々と飛び乗っていたTABI。今は同じスペースに、無言のまま横たわって。。。時間の流れと言うものは、なんて残酷なのでしょう。

高速に乗る直前に、二人ともすごくお腹が空いてることに突然気がつきました。
「そういえば、朝からミカン一つしか食べてないよね」
人間って、こんなときでもお腹が空くものです。そこで、レストランに寄って遅めの昼食をとることにしました。

遅いお昼ご飯
アーティチョークとほうれん草のケサディーヤ。
二人ともほぼ無言で黙々と食べました。

いつもこの時間帯は渋滞でノロノロの高速が、この日はなぜか空いていてスイスイ。その後も赤信号で止まらされることがなく、目的地に到着するまで思ったより時間がかかりませんでした。まるで、TABIが私達を守ってくれているようでした。 途中で雨が降り出し、パパは「空も泣いているよ」とポツリ。

paw1.gif (869 bytes)白い煙

火葬場は、曲がりくねった田舎道の先のうっそうと茂った森の中にありました。敷地内には経営する家族が住む家々と、その対に小さな火葬用の小屋が見えます。車を停めると、経営者の初老の男性と若い息子さんが出迎えてくれました。 自己紹介をして話が弾み、私達が転勤族でアメリカにも住んだことなど話したところ、「じゃあ、将来的にまた海外に出ることもあるんですね?」と聞かれました。可能性としてはあるので、そう答えたところ、「では、 税関で問題にならないよう手紙を書いてあげます」とのこと。

遺骨を持って国境を越える場合、骨壺の中のモノが遺骨であることを証明する書類が必要なのだそうです。これは主にアメリカ側ですが、麻薬取り締まりが非常に厳しいので骨壺などが荷物の中にあると、麻薬の密輸入でないか疑われます。「亡くなった家族の遺骨だ」とどんなに訴えても、実際に中身を見せても、火葬場の証明書がなければ没収となり廃棄処分されてしまいます。そこで、火葬を証明する手紙を書いてもらいました。ちなみにこのサービスは、無料でやってもらえます。

火葬証明書
火葬を証明する書類

それから私達は車のカーゴを開け、TABIの亡骸を見せました。ベッドやオモチャ類を見せたところ、「大丈夫、全部燃えます」とのこと。ずっとしいていたおねしょパッドは、取り除いて捨てることにしました。パッドには、小さなオシッコのあと(直径5センチくらい)があり、亡くなった後ドライブ中にもれたことがわかりました。そしてベッドごと亡骸を火葬用の小屋へ運び、テーブルにいったん寝かせて最後のお別れをしました。狭い小屋なので、パパとかわりばんこにTABIのそばへ寄り、おでこにキスをして「うちの子になってくれてありがとう。ぐっすりおやすみ、楽しい夢を見るのよ」とささやきました。それから火葬場の二人が亡骸とベッド類を 焼却炉に入れ、炉の入口が閉まる前にTABIに手を振ってお別れしました。

外に出ると、火葬用の小屋の煙突からはすでに白い煙がもくもくと出ていました。火葬場の人は、「あれはベッドや衣類などが燃えてる煙。すぐに落ち着きます」と言いました。本当に白い煙はすぐ一段落して、あとは小さなひとすじの煙が空へとのぼってゆきます。私は、頭の中で荒井由実の「ひこうき雲」の歌詞をなぞりながら、涙もふかずに泣き続けました。TABIパパも、一緒に泣いていました。

白い煙

しばらくして火葬炉をチェックしに来た火葬場の人は、「完全にお骨にするのに時間がかかるので、もしよかったら森の散歩道を歩いてきたらいかがですか?このすぐそばに、州立公園に続く道がありますよ」と、教えてくれました。一時間も泣きながら車の中で待つのは辛いので、気分を変えるためにも夫婦二人で散歩に出ました。雨上がりの森は誰もいなく、私達だけ。「この森なら、秋にキノコがたくさんとれそうだね」「よくTABIとキノコ狩りに行ったよね」などと話しながらも、つい散歩道でTABIの歩く姿を探してしまいます。森は静かで、小鳥のさえずりと私達の足音だけ。フィトンチッドをたくさん吸って、気分がやや晴れました。美しい緑も、慰めになりました。もしかしたらこれはTABIからの、「パパ、ママ、元気出してよ」というメッセージだったのかもしれません。

森の散歩道

散歩から戻ったら、火葬場の人がTABIのお骨をビニール袋に入れて用意してました。すごーく小さくなっちゃって、ビックリ。残るのは骨だけなので、こんなものらしいです。パパは「さすがの骨がんも、これで燃えつきたな」と苦々しそうに 袋の上からお骨をさわってました。火葬場ではお骨を完全に冷ましてから、骨壺に入れてくれます。私達は木の箱を選び、名前を入れてもらいました。 小さく小さくなってしまったTABIは、ちょうど17年前に母犬のもとから私達に引き取られた時と同じように、私の膝の上に乗って車で家に帰りました。

お骨
番号が付いた丸いタグは、遺体を取り違えないために犬の体につけて火葬する

いっしょに帰ろう
おうちに帰ろうね

こうして、17年以上にわたる私達三人の素晴らしい「旅」が終わりました。
三年前に悪性メラノーマを克服し、昨年は腎不全と急性膵臓炎で命を落としそうになったのに回復、「不死身のTABI」と呼ばれたあの子も、ついに骨肉腫には勝てませんでした。

読者の皆様、これまでうちの子を見守ってくださりどうもありがとうございました。
TABIは、がんばりました。最後まで、とってもとっても良い子でした。
どうか、TABIのことを忘れないでくださいね。

paw1.gif (869 bytes)TABIのにっき

ぼくが おそらに のぼる ひが きた

これまで 3ねんいじょう ぼくを みてくれた
Dr. Bが うちに きて
ぼくの たびだちを たすけて くれる

ぱぱは 「すきなだけ たくさん たべな」と
いって びーふすてーきを やいてくれたよ
ままは きれいな おはなを いっぱい
かざって くれたよ

ぱぱ まま
なかせちゃて ごめんなさい
ぼくは とっても しあわせだったよ
ずっと ずっと だいすきだよ

おわかれするのは つらいけど
おそらで おともだちが たーくさん まってるから
もう いかなくちゃ

みなさん ながいあいだ おうえんしてくれて
どうもありがとう

TABI

花
1999 – 2017
In Loving Memory

paw1.gif (869 bytes)Obituary

It is with our heaviest of hearts that we must let you know that our boy Tabi has taken his final nap.
Those who knew him knew how special this boy was and we already miss him terribly and we are sad beyond belief.

To his grandparents, Cece and Stacey, please rest assured we tried everything possible to keep him with us
but at the end, too many health issues were taking their toll on him.  We could not let him suffer.
Thank you for giving us this precious boy; we did enjoy sharing our lives with him for just over 17 years.
We honoured our promise to you to treat him as best as we could.
Kiwi finally has her son back.

To our agility friends, if it would not be too much to ask, the next time you host a trial,
if you could announce this news to the folks who are attending, it would be greatly appreciated.

Tabi the immortal he was not.
Run free, Tabi, run free.
Until we meet again.

花

(2017年4月26日)

ぼくの犬家族へ  TABIのいない朝へ

 

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