ハリケーンJUAN
〜Forces of Nature〜
根こそぎ倒れた大木が送電線を断裂する
「カナダはいいわねえ、台風が来なくて」
毎年台風シーズンには、日本の友人や親戚からこんなメールや手紙が届く。
たしかにカナダに台風は来ない。だが、ハリケーンやトルネードは来る。
2003年9月28日、ハリケーンJuanがカナダ大西洋岸州を襲った。最も被害が大きかったのはノヴァ・スコシア州で、強風と豪雨による家屋倒壊や床下浸水、送電線断裂により30万世帯が停電、倒木 ・火事・海難事故により死傷者や行方不明者を出す惨事となった。
TABIママのうちでも10日間停電し、倒木や豪雨によるダメージを受けた。これは、 日本の報道機関がどこも書かなかったハリケーンJuanについての、TABIママによる生体験レポートである。
ハリケーンとは |
ここでハリケーンについて簡単に説明しておこう。
台風もハリケーンも、発達した熱帯低気圧のこと。つまり同じものなのだが、地域や風速により違う名前で呼ばれる。
台風とは
- 最大風速が17メートル/秒以上のもの
- 東経180度より西の北太平洋上にあるもの
ハリケーンとは
- 最大風速が30メートル/秒以上のもの
- 大西洋、北東太平洋、南東太平洋上にあるもの
- 東部太平洋・大西洋・メキシコ湾・カリブ海で発生したもの
サイクロンとは
- 南西太平洋、南東インド洋上にあるもの
ハリケーンは、東経180度より日本側に入ると台風と呼ばれる。
破壊された広告塔。鉄の支柱が飴のように曲がっている
ハリケーンには人間の名前がつけられることは、よく知られている。
昔はアルファベットの一文字でAとかBとか呼んでいたのだが、それでは間違いやすいため、ニックネームをつけることにしたらしい。当初は、気象関係者の奥さんの名前をつけたりしてたので、女の子の名前ばかりだった。しかし、アメリカで男女同権云々と文句が出たため、男女交互の名前をつけることになった。
アルファベット順に、Aで始まる名前からWで始まる名前まで年ごとにすでに決まっている。6月1日から11月30日までのハリケーンシーズン中に、最初に発生したハリケーンにAから順番に名前をつけていく。そして、一度気象史上に残る被害を出したハリケーンの名前は、二度と再び使用されることはない。
例えば、Hugo(1989年)、Andrew(1992年) 、Mitch(1998年)、今回の Juan(スパニッシュ系の名前なので、「フアン」と発音する)などは、今後一切使われることはない。 プロ野球の永久欠番のようなもので、気象関係者にとってはJuanといえば「ああ、あの2003年のハリケーンね」ということになるのだ。
Juan前奏曲 |
Juanは、9月25日木曜日、バミューダの南東で弱い熱帯低気圧15号として誕生。その24時間後にはバミューダの東でハリケーンJuanに成長、バミューダの空港では離着便ともに全て欠航となっていた。
そしてJuanは、毎時169キロメートルで北北東へ。
ところ変わってカナダ、ノヴァ・スコシア州。襲来前日の土曜日は、真夏に戻ったようなピーカンだった。 ハリケーン注意報は発令されていたが、気象関係者は「上陸前に低温の海水によってJuanの勢力が弱まるので、ハリケーンの規模は小さいはず」と予測していた。結果的に大ハズレとなった。
週末の2日間、地元の市営公園でアジリティ競技会があったが、出場者は口をそろえ「明日の分も出走料を払ってるけど、明日は家で待機するよ。万が一に備えてね」と言っていた。だが、もしかしたらそれるかもしれないという楽観的予測もあったことはたしかだ。この時点では、ジャッジは翌日も続行する予定だった。
強風であおむけに倒れたガソリンスタンドのポンプ
襲来当日、日曜日の午前中も、風は強いが快晴。人々は「うまくそれてくれるといいね」と言いながら、庭やドライブウェイをかたずけていた。我が家も、ハンギングバスケットなど風で飛びそうなものは全て納屋におさめた。
昼食後、ネットでメテオの情報をチェックすると、我々の住む地域は完全にJuanのターゲット域に入っていた。ヤバイ。
夕方、早めに夕食をとり、停電にそなえコンピュータの電源を切る。キャンプ用ランタン、懐中電灯、ろうそくなど非常用品をまとめて手近におき、戸締りを再確認。夜、8時ごろから風や雨が強くなり、9時前には停電。その後、闇の世界が10日間続くことになる。
襲来 |
11時を過ぎると、強い風が三重ガラス窓を吹き飛ばしそうな勢い。カーテンの隙間から外を見ると、ホースで水をまいたような雨がガラスに吹き付けられ、外がよく見えない。
ドカン!という音に急いでパティオドアへ駆けつけると、約4メートル長さの木が、通りひとつ隔てた森から飛んできて、うちのパティオに置いてあるバーベキューを直撃し、もろとも倒れてころがっていた。幸いにも、パティオドアのガラスは無事だった。
屋根が落ちたバス停と散乱するガラス片
風は、ジャンボジェットが頭上を飛び越えるような轟音を立て、月曜日の明け方ちかくまで吹き荒れた。午前3時の時点で、風速は毎時177キロメートル。近所のフェンスや大木、納屋が倒壊するバリバリという音が聞こえてくる。家中が震撼し、ゴオオ…と響くさまは、大きな地震の余波にも似た不気味さだ。
ときおり雨がおとろえると、荒れ狂う風で斜めになり耐えている森の木々が窓から見える。自然というのはなんと荒々しく、かつ美しいのだろう、と思わず見惚れてしまう。それもつかの間、ベースメントを点検中の夫の「水だ!」の声に我に返る。
ベースメントの、東南向きの窓枠とコンクリートの隙間から雨水が浸入。こういう嵐のときお決まりの、浸水ってやつだ。古いシーツやバスタオルをしこたま持ち込み、水を滲みこませる。幸い窓そのものは風で吹き飛ばされなかったため、ベースメントが浸水で海になることは避けられた。
ベッドに戻ってもなかなか寝付けなかったが、明け方にはいつのまにか犬とともに夢の世界に入っていた。
そのとき犬は |
動物は、こうした自然現象に敏感に反応し、大地震の前には予知的行動をとることは科学的に立証されている。
まあハリケーンはなにも動物に予知させなくたって、天気予報をチェックすればわかる。が、よく聞くのは雷や嵐を恐れてパニックする犬の話だ。
近所の雑種犬PUFFYは、嵐の最中に舌を出してハアハアと荒い息をし、心臓発作でもおこすのではないかと飼い主を心配させた。他にも、カウチの下にもぐりこんでブルブル震えていた犬、キャンキャンなき つづけていた犬など、パニックした犬は多かったらしい。
3つに折れた電信柱
また、ハリケーンのまっただなかに迷子になった犬もいた。なぜ飼い主は嵐のときに犬を外に出したのか理解できないが、飼い主に閉め出された以上、犬の本能としては「どこか安全な場所へ隠れなければ!」ということで逃げてしまったのかもしれない。だが、あのハリケーンの中では、それは死の逃避行となった。
我が家の犬といえば、あいかわらず平然としていた。常に私たちのそばにいたが、TABIは不安な様子は見せなかった。風や雨がおさまると、サッサと寝室に戻り、「サア寝よ、寝よ」とばかりにクッションに横たわりグーグー寝てしまった。
嵐の翌日 |
翌朝7時。
風も雨も止んだ。みなナイトガウン姿で外に出て、ハリケーンの傷跡を確認している。
我が家の被害といえばまず、隣のフロントヤードに生えているメープルの木が縦まっぷたつに割れ、うちのドライブウェイを直撃。幸いにも、前日に夫が機転をきかせて車を移動したので、車は無事だった。そうでなかったら、いまごろ車はボコボコだったろう。
うちのドライブに倒れたメープル
フロントのフェンス脇に避難させてあった我が家のゴミバケツは、二つとも強風で吹き飛ばされ、100メートルほど離れたバックヤードのフェンスに激突、無残な姿で折れた枝の山に埋もれていた。
30万世帯が停電し、市は非常事態を宣言。 大学を含め学校は一週間休校、ほとんどの職場もこの月曜日は閉鎖。通りには走る車もなく、商店は閉店、町はゴーストタウンと化した。
薄暗いダイニングで冷たい朝食をとると、人々はチェーンソーを手に外に出、あとかたずけを始める。界隈の木のほとんど全てが、根こそぎ倒れるか折れるかして、窓にめりこんだり屋根をつぶしたりしているからだ。我が家のバックヤードでも、折れた枝があちこちにぶらさがっている。
デジカメを手に、犬を連れて町に出る。通りはどこも、折れた木の枝・吹き飛ばされた看板・ガラス片などで足の踏み場がない。マクドナルドの広告塔も、シンボルマークの黄色いMが飴細工のようにぐにゃりと曲がって垂れ下がり、いまにも落ちそうだ。派手な看板がないと、こうも町がスッキリして見えるものかと感心。
大手スーパーの裏口では、従業員が次々と生鮮食料品を巨大ゴミ容器に捨てる作業をしていた。停電が続く以上、商品にならないからだ。あのゴミもドッグフードの材料になるのだろうか。
ファストフードの店はどこも閉店。停電に加え、ドライブスルーのサインがぶっとばされた状態で、商売ができない。年中無休のTim Horton's までお休み。
停電中で冷蔵庫を開けられないため、夕食はあるものですます。自家製ワイン、パスタとトマトソース、洋梨のヨーグルトあえ。TABIには、乾燥鹿肉とチーズの角切り。
犠牲者と損害 |
公式発表では、Juanによる犠牲者は5名である。
暴風雨時、救急隊員が救急車ごと倒木の下敷きになり死亡した。またバイクでツーリング中の男性が、やはり倒木の下敷きになり死亡した。さらに漁船が遭難し、乗員が行方不明となっている。
また停電時に使用したろうそくを火元とする火事が発生して、二次災害をひきおこした。ハリファクス市では、2歳と3歳の幼児とその母親が逃げ遅れて焼死した。
ぐにゃりと折れた大木
このように、今回Juanによる犠牲者の数が意外と少ないことに対し、市当局は「ハリケーン注意報が広くいきわたったこと」と、「襲来が夜中で、ほとんどの人が自宅で待機していたこと」を理由にあげている。
これが昼間で通勤・帰宅ラッシュ時であったらどうだったか?たいていの人は、安全な場所に避難しよう、と試みるより「なにがなんでも家に帰らなくちゃ!」と車を飛ばすに違いない。パニックした人々による二次災害・三次災害が起こり、犠牲者の数はかなりのものになった可能性は高い。
さらにハリケーンは、人の命だけでなく人々の生計の糧も奪った。漁村では、漁船や海沿いの小屋などが破壊された。ある漁師は11月のロブスター漁シーズンを前に、ロブスター・ポットなどが海に流され、6万ドルの被害が出たという。このままでは今年の漁はできず、したがって収入はゼロということになる。また農家では納屋が破壊され、林業家は暴風による倒木の被害が出た。
州政府は、こうした被害の総額を一億ドル以上と見積もっている。
Juanの規模 |
ハリケーンの規模は、Saffir-Simpson scale により5段階に分けられる。これは風の強さと被害の大きさで測られ、カテゴリーの1が最も小さく、5が最も大きいハリケーンとなる。
Juanの場合、当初カテゴリーの1と発表されたが、のちカテゴリーの2に変更になった。では、カテゴリーの2とはどんな大きさのハリケーンなのか?
それは、風速が毎時154〜177キロメートル(最大瞬間風速ではない)。被害規模は、看板や建物に多少のダメージが出る程度、とある。Juanは毎時176キロメートルと発表されたので、ここに落ち着いたらしい。
だが、この発表は今後また変更される可能性が高い。なぜなら、風速計が暴風雨の最盛期にぶっとばされたため、実は正確な最大風速が測れなかった、というトホホな事態が生じたためである。被害の大きさから察して、風速はもっと大きかったと推測される。 実際、報道によっては185キロメートルという数字が出ている。
過去にも、ハリケーンAndrew が10年後にカテゴリーの5に昇格になっている。家の屋根がそっくり飛ばされたり、トレーラーが横転するなどの被害を出した今回のハリケーンJuanも将来、そんなふうにランクアップされるかもしれない。
そのとき報道は |
カナダ国内では、テレビ・ラジオ・新聞・インターネットで大きく報道され、知らない人はいないハリケーン災害であった。しかし、毎度のことだが日本では全く報道されなかったらしい。日本の家族や知人の誰一人、知らなかった。
「あら、ハリケーンのことならテレビでやってたわよ」と報告してきた知人がいたが、残念ながら彼女の言っているのはアメリカを襲ったハリケーンIsabelのこと。Juanのひとつ前のやつだ。
たしかに中米を襲うハリケーンに比べたら、北国カナダのハリケーンは小さい。が、夏のニューヨークの停電(たったの7時間…)は仰々しく報道されたことと比較すると、カナダがいかに日本にとってニュース性が低いかということがよくわかる。
嵐のあと、お決まりの洪水
またおもしろいと思ったのは、在モントリオール総領事館メールマガジンである。アトランティック4州には日本の領事館がなく、モントリオールの領事館が管轄している。そして、在加日本人にむけメールで様々な情報を月2回送付しており、私も一応購読している。
これも今回の災害については一言も触れていない。日本映画上映や在外選挙の案内など、まことに平和な内容ばかりであった。
抜け目のないやつら |
こういう災害時には必ず、人の足元を見た商売が横行する。
襲来2日後には、復活したガソリンスタンドに長い長い車の行列ができた。ESSOは、看板にはリッター75セントと表示しておきながら、実際には85セントをチャージした。「だまされた!」と思っても遅い。後ろには永遠に続く行列だし、いまさら引き返すわけにいかないから、人々は悪態をつきつつ渋々財布を開けた。
また、乾電池ひとつ$5で売った店も。本来こうしたことは法律で禁止されているのだが、なんせ災害時は混乱しているため人々が当局に訴えたところでいちいち検挙しているヒマもマンパワーもない。腹黒いやつほど金太りする、という法則は、ここでも通用したわけだ。
こうしたワナにひっかからないためには、せめて日頃から災害用品を準備し、乾電池の消耗をこまめにチェックしておくことだ。
電気のない生活 |
電力会社は、隣のニューブランズウィック州やアメリカ・メイン州からの応援も得て電力供給回復に尽力したそうだが、なんせ前例のない被害であるため作業は遅々としていた。
冬はスノーストームのため停電は日常茶飯事であり、人々は電気のない生活が初めてではない。たいていの家庭では、停電にそなえ何かしら準備がある。また、冬は暖房を電気に頼っている家庭が多いため、停電が長引くと死活問題になるが、秋口は数日なら普通に生き延びることができる。
だが、10日、2週間と長引くとストレスは大きくなる。都市部は水道だが郊外では井戸水で、電気ポンプで汲み出すため停電中は水も使えない。水洗トイレを使うにも、川から水を汲んでこなければならない。
そうした田舎では、次第に備蓄した食糧や飲料水が底をつき、もよりのファストフード店が復活するまで2日間何も口にできなかった、という人々がいた。
給湯器も電気でスイッチが入るため、停電中はお湯が出ず冷水シャワーとなる。また、ほとんどの家庭では台所の調理用レンジも電気のため、調理ができない。停電初期は外があたたかかったため、みな庭でBBQをしていた。しかし、数日後には霜が降りて夕方には防寒ジャケットなしでは外出できなくなった。うちの近所では、ダウンジャケットを着こんで外でBBQする男性の姿が。家族のために、父ちゃんはツライ。
芝生を巻き添えにして根こそぎ横倒しになった大木
また、停電三日で冷蔵庫内の食べ物は全て食用に適さなくなる。廃棄しなければならない。冷凍庫は、大きさによっては数日は食品を保存できるが、開けたら最後、火を完全に通して調理しなければならない。とくに肉類は、融けかかっていたら即調理して食べ、残りは廃棄しなければならない。
停電一週間を過ぎると、自家発電機を購入して使う家庭が増えてきた。だが、騒音がものすごいため、機械は外に置いて使わなければならず、夜間は騒音問題になるのでオフにしなければならない。
我が家では、昔から台所はプロパンガスを使っているため調理は普通にできた。着火にマッチを使用する必要があったが、初日から暖かい食べ物を用意できた。また、寒くなると近所では夜の間、電気が回復した親類宅へ非難していたが、うちでは暖炉に薪をくべて暖かく過ごすことができた。
明かりはロウソクやキャンプ用のランタンでとったが、暗くなると何もすることがないので自然に超早寝になってしまう。停電生活は、意外と健康的だった。
保険による補償 |
こうした自然災害時の被害は、各自加入している家屋保険でカバーできる。
吹き飛んだ屋根、はがれた外壁、床下浸水など家屋のダメージに加え、冷凍庫内のダメになった食物も被害届けとして出せる(冷蔵庫内の食品は対象にならない)。カナダでは、大型冷凍庫に食物を保存している家庭が多く、被害総額が何百ドルになることがある。我が家でも、385リットルの冷凍庫に詰まった食品の全てが廃棄となった。
また、自分の庭に生えている大木が隣の家に倒れて屋根を破壊してしまった、というような場合、その修理費は木の持ち主が責任を持って払わなければならない。そうした費用も、家屋保険がカバーする。
屋根に倒れこんだ木を切る住人
こうしたクレームをするにあたり、デジカメで被害状況を記録しておくと良い。保険会社に連絡しても、査定員がすぐ来てくれるとは限らないからだ。また冷凍庫の食品のリストをつくり、価格と個数を明記しておく。この際気をつけたいのは、購入した時の価格を記入しないこと。同じものを再購入するにはいくらかかるか、その価格を記入する。半年前と同じ値段で売っているとは限らない。よって、スーパーなどに行って価格を調べる。
ただし、加入している保険会社や契約によっては、クレームを出すと不利になることがある。給付金を支払ってもらうと、来年から払う保険の掛け金がガバッと値上がりしてしまうからだ。そこでやたらとクレームを出す前に、 給付金をもらったほうが得か損か、エージェントによく確認する必要がある。また、保険に入って三年間は、保険会社に請求を出せない契約になっていることがある。
結果的には、泣く泣く自腹を切って家屋の修繕をした、という人がけっこういた。車の保険もそうだが、保険に入っていればいざというときに安心、という世の中ではなくなってきている。
Life Goes On |
襲来後、人々は意外と冷静だった。いつも冬は猛吹雪でコテンパンにやられており慣れているのだろうか、パニックすることもなく淡々としていた。直後の月曜日こそ休みの職場が多かったが、その翌日には平常どおり出勤した人がけっこういた。TABIパパもその一人で、さらに三日後には予定どおり長期出張に出た。
商店も、停電中にもかかわらず店を開けているところがあった。屋根が飛んでしまい青空市場になってしまったガーデンセンターでは、レジが使えないのでノートに鉛筆で売り上げを記録していた。
町には、割れた窓にビニールシートを張ったり、落ちそうなドアをテープでベタベタ止めた車がたくさん走っていた。修理が間に合わないのだ。それでも、生活していくためには働きに出なければならない。
このツンドラでは自然災害は日常であり、いちいちパニックしていたら生きていけないということだろう。
一部の病院では、建物に被害が出たり停電の影響などで手術が予定通りできず、ごく緊急の場合を除いてキャンセルになったケースが多かったようだ。半年以上も手術の順番を待っていた人が多いだろうに、気の毒だ。
私自身も襲来後の水曜日に耳鼻科専門医と予約があったので、確認しようと電話をかけ続けたが二日間全くつながらなかった。当日の朝になってようやくつながり、秘書は「患者からのキャンセルがいっぱいあったから、順番を繰り上げて早い時間にいらっしゃい」と言った。私もバタバタしてたのでキャンセルしようかと思っていたのだが、そうするとまた半年待ちなので出かけることにした。早い時間にしてもらったおかげで、手術のあと日が高いうちに家に帰ることができ、結果的には良かった。
森へ犬の散歩に出ると、何千本という木がドミノ式に倒れ、行く手をふさいでいた。市の職員が毎日チェーンソーで木を切り、道を開いているのだが、なんせ数が多い。そんななかを犬飼いはジャングル・クルーズと称して、木を飛び越 えたり潜り抜けたりして犬と散歩している。
倒木の隙間をぬってお散歩
ちなみにうちの界隈では、倒木により送電線が断裂し電柱が2本折れていた。それが停電の原因だったのだが、この通りには市会議員が住んでいるので、人々は「大丈夫、私たちのとこは真っ先に電気が回復するよ」と話していた。
ところが、結果的にはこの地区で復活したのは、この通りが最後だった。人々は「あの市会議員の爺さんは、市長のブラックリストに載ってるんじゃないか。次の選挙では投票しないぞ」とウワサした。
実はこういう災害時には、最も被害が小さく住民人口の多い場所から先に救援が送られる。そうすることで、「○○時間後には××%が回復した」と良い数字を出すことができるからだ。市長にとっては、そのほうが対外的イメージが上がるので、よく使われるテクだ。
うちの通りは人口が50人ほどと少なく、しかも工事にたっぷり2日はかかる被害を受けていた。そのため、救援リストの最後になってしまったのである。停電から一週間後には、この市会議員の爺さんによる平謝りのレターが各家庭の郵便受けに入っていて、彼の弱りきった顔を想像し思わず笑ってしまった。本当はブラックリストに載っているのかも。
襲来から一ヶ月以上たった今でも、町のあちこちに爪あとはしっかり残っている。それでもすでに、ハリケーン顛末をパロディにしたTシャツが売り出され、人々は苦労をお笑いにしてやり過ごそうと懸命だ。ハリケーンJuan事件は、したたかなカナダ人らしさを垣間見ることができた貴重な経験であった。
(2003年11月2日)
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