クリッカー・ベーシックス
(2006年4月22日)
"The Clicked Retriever" や "Practical Clicker Training Guide" の著者である Lana Horton のセミナーに参加した。シリーズ初めのセミナーなので「ベーシック」と名がついているが、参加者はみなすでにクリッカーの経験者 (どころか、TABIママをのぞき全員がプロのトレーナー)なので、基本的事項だけでなく幅広い応用事項ももりこんだ、中身の充実した高度な講習となった。 その様子の一部を紹介しよう。
なお、この訓練には食べ物をご褒美としてふんだんに使う。「食べ物を使う訓練なんて邪道だ!」という硬派の方は、いますぐブラウザの「戻る」ボタンを押してお帰りください。サヨウナラ。
初めに…TABIママの私見 |
TABIは2001年ごろから、アジリティのトレーナーから紹介されてクリッカーによるトレーニングを続けている。当初、クリッカーを使うことにより習得するスピードが驚くほど速くなることにすっかり夢中になり、会う人ごとにクリッカーを薦めていたことを思い出す。しかし、クリッカーは非常に効果的な道具であると同時に、使う方がその背景にある理論を正しく理解していないと役に立たないし、とんでもない結果になってしまうことがある。うろ覚えやまた聞きで手をつけた人が、間違ったやり方をして犬を混乱させている場面をたまに見かける。個人的には、クリッカーだけはネットや本からの知識だけに頼るのではなく、ぜひ正しく使っている人から実際にライブで正しい使い方を習うべきだと思っている。クリッカーは、まさに「百聞は一見にしかず」の代表例である。新しい理論を学習するなんて面倒だ、という人は、むしろクリッカーなどに手を出さずにごく普通の訓練法を続けるべきだ。
興味もやる気も十分、という人は、クリッカー・トレーニングのバイブル、"Don't Shoot The Dog!" をまず読破して欲しい。これは Operant Conditioning の理論をわかりやすく解説したもので、犬の訓練に特化した内容ではないので本屋では心理学の棚に並んでいたりする。著者 Karen Pryor はクリッカー・トレーニングの元祖の一人だが、もともとは海洋哺乳類学と行動心理学の専門家である。今ではクリッカーに関する本がどんどん出ているが、まずこの本で理論を正しく理解しておくと、この先の訓練が非常にわかりやすいものとなる。
さらに、クリッカーはクリックするタイミングが非常に大切だ。クリッカー・トレーニングの敗因は、タイミングの悪さに起因することが多い。ゲームで育った子供や若い世代は問題ないかもしれないが、反射神経がいまいち、と思う人はまず指先と頭の訓練から始めるといい。例えば、車のキーを空中に投げ、床に落ちる瞬間にクリックをする。キーが床に着くのとクリックが同時でなければならない。また、野球やホッケーなどの試合をビデオに録画し、バットに球が当たる瞬間やパックがネットに入る瞬間に一時停止ボタンを押す。自分のタイミングが正しければ、画面には決定的瞬間がフリーズされているはずである。
「子供でもできる、簡単で効果的な訓練法」として紹介されることもあるクリッカーだが、個人的にはそれは誤解を招きやすいと思う。確かに子供は、大人ほど偏見や固執がないのでクリッカーの理論をすんなりと理解しやすい、とは言えるだろう。さらに子供は、反射神経が鋭い。だが、子供でもできる(つまり簡単)だからオトナのあなたならお茶の子ですよ、と言って薦めるのはいかがなものか。たくさんのオトナがクリッカーで失敗し脱落している現実からすると、「手軽」とか「簡単」ではないと思う。
クリッカートレーニングとは |
これがクリッカー
典型的なクリッカーは、手のひらに隠れるサイズのプラスチックの箱にブリキの板が入ったもので、これを親指で押すと「クリック!」と音がする。これを「マーカー」として使うのがクリッカートレーニングである。マーカーとは、犬が正しい行動をとった際に人間が与える「たいへんよくできました!」のメッセージである。クリッカーを使わない訓練では、「Good」や「よーし!」などの言葉がマーカーとして使われる。いずれにせよマーカーを使わないと、犬は自分がしたことが正しいのかどうか判断できない。犬にとってわかりやすいマーカーを使うことは、訓練で大切なことだ。人間の言葉よりクリッカーがより効果的と言われる理由は、「クリック!」の音が常に一定だからである。人間は腹の虫の居所により声の調子が変ったり訓練に感情が移入したりし、犬を混乱させることがある。クリッカーはそういうことがないし、家族の誰が使っても常に同じ音で犬にマーカーを与えることができる。
そして、クリックしたあとは即、ご褒美を与える。これを繰り返すことにより、犬は「人間にクリックさせればうまいものが食える」ことを覚える。食べ物以外に、例えばボールの好きな犬ならクリックのあとにボールを投げてやることもできる。しかし、それだとボール投げが持って来いゲームに発展してしまい、訓練どころではなくなる可能性が高い。犬の好きな食べ物(レバー、チーズなど)を小さく切ったものを使うほうが、ずっと効果的である。
とまあ、やり方は簡単だが、クリッカートレーニングには守らなければならないルールがある。
クリックしたら必ずご褒美を与える。
正しい行動をとった瞬間にクリックする。1秒でも差があると、間違った行動が「正しいもの」として犬に理解されてしまう。例えば犬にお座りを教えようとして、犬のお尻が地面に着く前にクリックしてしまったとする。すると、犬は中腰の姿勢が「正しいもの」だと思ってしまい、お座りさせるたびにウンチするような姿勢をとってしまうという、トホホな事態が生じてしまう。上記の私見で述べたように、タイミングが非常に大切なのだ。
クリッカーを犬を呼ぶ道具として使わない。そっぽを向いている犬にクリックし、犬が音を聞いて振り返ったらご褒美をあげる人がいるが、これは完全に順番が間違っている。クリッカーで「呼び」を躾けたいなら、まず犬の名前を呼び、犬が飼い主の方へ向いた瞬間にクリックすべきである。ここで犬に教えたい正しい行動とは、「飼い主に呼ばれたら飼い主のもとへ行く」というものであり、犬がその行動を示した瞬間にマーカーとしてクリックする。そして、ご褒美をあげる。
マーカーになるものなら何もクリッカーでなくともかまわない。Karen Pryor がイルカを訓練していたころは、実はクリッカーではなく笛を使っていたそうだ。また音に非常に敏感で繊細な犬ならば、クリッカーのかわりにボールペンの頭を押して「カチ」と鳴らすのでもよい。また、今は音が軽いものなどいろいろなタイプのクリッカー が出回っている。多頭飼いの人は、犬同士を混乱させないために種類の違うクリッカーを犬別にそろえていることがある。
トレーニング・ゲーム |
さて、Lanaのセミナーでおもしろかったのは「犬体験トレーニングゲーム」である。参加者が二人一組になり、一人はトレーナー、一人は犬の役をする。トレーナーは「犬に所定の位置で停止させる」などの課題を与えられ、クリッカーを用い訓練する。犬役の人は、当然、その課題が何かは知らされていない。また、「犬は人間の言葉を話さない」(当たり前だが)ので、トレーナーと犬とのコミュニケーションに言語は用いられない。犬がトレーナーの思惟にそった行動をとった時にクリックし、ご褒美を与える。課題の行動をとった時には、ジャックポット(多量のご褒美)を与え、トレーニング終了となる。
これは意外と難しいゲームである。まず、人間は犬と違い考えすぎるため、犬役はトレーナーの行動を分析しようとして逆に混乱してしまう。またトレーナー役も、相手は犬だと思い込もうとしても、つい言葉をかけてしまったりする。それは反則である。犬役を経験すると、いかに人間の気持ちを読み取るのが難しいかがわかる。また、いかに私たちの犬がたくみに私たちのボディランゲージを読み取り、課題を探ろうと必死に努力しているか、その健気さが身にしみて理解できる。
「犬」役のTABIママに与えられたのは「ドアの鍵穴にタッチする」という簡単な課題だったが、ジャックポットをもらうまで15分以上かかってしまった(笑)。これが本物の犬と忍耐のないトレーナーのコンビであったら、犬は「こいつ馬鹿で何もできない」と烙印を押されるところだ。だが、犬は必死に考えているし、基本的なことはよく理解しているのである。必要なのは、トレーナーの忍耐と的確な指導だ。
自分が犬ならどう考えるか?常に犬の目線にたってトレーニングすることが大事だと気づかせる、貴重な体験であった。
キャプチャリングとルアー |
キャプチャリングは、犬が自発的にとった行動に対してクリックし、その行動に意味をもたせることである。
例えば、セミナーの最中にTABIがママの膝にあごを乗せて上目づかいでため息をついたところ、参加者がみな「かわいい!それ絶対、ハリウッド映画で使えるわよ」と大ウケ。これは全く、彼が自発的にとった行動である。そこで、TABIがまた同じことをした時にすかさずクリックしご褒美をたくさんあげた。そうするとTABIは調子にのってまた同じことを試みる。クリック、ご褒美。次に、この行動に名前をつける。「"Are you sad?"(悲しくなっちゃったの?)って聞くのはどう?」とLanaがアドバイスしてくれたので、それを使うことにする。ママが「悲しいの?」と聞くとTABIが膝にあごを乗せる、クリック、ご褒美。参加者は全員女性だったせいか、「キャー、かわいい!」と大ウケ。このようにして、一発芸が増えていく。
ルアーは、食べ物などを使って犬を目的の行動へ導き、正しい動作をした瞬間にクリックすることである。
例えば、Lanaは自分の犬に正しいヒール・ポジションを教えるにあたり、左手に持ったソーセージのかけらを使って犬を導き、犬が正しい位置に来た時にだけクリック、ソーセージを食べさせる。これを繰り返すことにより、犬は正しいヒール・ポジションを理解する。
Lanaから注意されたことは、犬が思い通りの行動をとらないからといって "No" を言ってはならない、ということだ。"No"は悪いことをしたときに叱る言葉である。クリッカー トレーニングでは、犬は犬なりに一生懸命考えていろいろな動作を試みる。ちょっとハズレてるな、と思ったときは、"Too bad!" "Oops!" "Ah ah!" などの軽いいましめの言葉(日本語で言ったら「残念でした」みたいな意味)をかけて、クリックをしない。クリックをしない、ということがすなわち、「それは正しくないよ」というメッセージなのだ。
シェイピング |
シェイピングも、クリッカートレーニングに独自である。高度な行動を教える際には、まず簡単な行動を学ばせ、目的の行動へと形づけていく。
セミナーではTABIはみんなの人気者で、デモンストレーションによく使ってもらった。みんなの前でいろいろな犬芸を披露したあと、「敬礼」を教える課題をもらった。TABIはすでにハイファイブができるので、これを基本にシェイピングしていくことにした。
いきなりハイファイブから敬礼はきびしいので、クッションとして「バイバイ」を教えた。前足をあげて「バイバイ」と振る芸である。ハイファイブを何回かしたあと、TABIママの手を少しずつTABIの前足から遠ざける。TABIがママの手に触れようと前足を動かした瞬間にクリック、ご褒美。それを繰り返し、TABIの前足が空中にある時間を少しずつ長くしていく。次に、「バイバイ」のコマンドを導入し、TABIが前足を二回振った瞬間にクリック。このようにして、「バイバイ」を完成させていく。
「バイバイ」芸で前足を動かすことを覚えたら、さらにシェイピングして敬礼動作へもっていく。「敬礼」では、犬の前足の先がこめかみにつかなければならない。そこで、TABIのおでこにテープを貼り、TABIがテープをはがそうと前足を頭に持っていった瞬間にクリック、ご褒美。これを繰り返し、「敬礼」コマンドを導入する。
このように、小さなステップを踏んで着実に目的の行動をとらせる訓練がシェイピングである。もちろん、シェイピングを完了するには通常数日から数週間かかる。難しいことを学ぶには、犬も人間も大変なエネルギーがいる。一度になにもかも教えようとすると、かえって何も完成しない。5分ほどやったら止めて休憩し、時間を置いてトレーニングをするほうが効果的だ。
クリッカーの問題点 |
万能のようにもてはやされるクリッカーだが、実はいろいろと弱点がある。
先に述べたタイミングの問題、こればっかりは訓練するほうの反射神経にかかってくるので、鈍いと自覚する人は人間のほうがまず反射神経の訓練をしないといけない。
最も大きな弱点は、旧式な体罰式訓練方法(チョークカラー、ショックカラーを含む)で訓練された犬は、なかなか Operant Conditioning を理解できないという点である。クリッカー トレーニングは、犬に自発的に様々な行動をとらせ、正しい行動をとった時に褒美を与え、さらに目的の行動に形づけていくトレーニングである。いかに犬に自分で考えさせ、創造的な行動をとらせるか、そこがミソである。そのため、クリッカーはまっさらな子犬を訓練すると抜群な効果を発揮する。
しかし体罰式で育った犬は、考えることを放棄し自発的な行動を抑制する傾向がある。何か行動をおこそうとするたびに電気ショックを受けたり、首の引き締めを繰り返すことで、犬は「何やっても叱られるし、とりあえずおとなしくしておこう」と消極的になることを学習する。こうなってしまってから「クリエイティブに行動してごらん」と言ったところで、犬は混乱するだけだ。飼い主のほうも体罰式に慣れていると、どうしてもクリッカー トレーニングの基本が理解できず、従って犬を混乱させてしまいがちだ。
また、これはクリッカーに限ったことではないが、いろいろな犬の里親になったLanaの経験からして、生後一年間に全く訓練を経験していない犬は学習能力が低いそうだ。犬の訓練というとコマンドを教えることだと思っている人がいるが、実は「学ぶということはどういうことか」「学習することを学習する」ことである。訓練を通して、犬も人間もお互いにボディランゲージを読み取り、目的の課題をものにする過程を経験する。まだ柔らかい子犬の脳に、こうした経験がきざまれれば、その後いくつになっても高度な訓練が可能だそうだ。しかもその初期訓練がクリッカー トレーニングのように楽しいものなら、犬は訓練を好意的に受け止め様々なことを学ぼうと努力する。
学習経験のない成犬を引き取った場合でも、もちろん躾けは可能だ。しかし、こうしたことから犬によっては飼い主が期待するほどの高度な訓練が入らないことがある。それでも、犬は犬なりに一生懸命なのだ。ある犬は、生涯で覚えたコマンドはたった一つ、「お座り」だけだったそうだ。彼にとっては、それが精一杯だった。私たち人間は、そうした犬の健気な努力を評価し、過大な期待をせずあたたかく見守ってあげるべきではないだろうか。
(2006年4月28日)
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