カリフォルニア旅行
(2006年6月)
I left my heart in San Francisco

金門橋
ベイカービーチから望む金門橋

  1. 想い出のサンフランシスコ

  2. ナパバレー

  3. ソルトレーク(ユタ州)

paw3.gif (869 bytes) 想い出のサンフランシスコ

CPEアジリティ・チャンピオンシップ出場のため、カリフォルニアへ片道三日の車の旅へ出た。競技場はエルク・グローブ、サクラメントの近くである。競技が閉会したあとは、サンフランシスコ観光をすることにした。サンフランまでは、車で二時間と近い。

加州北部に位置するサンフランシスコは、坂や霧で名高い湾岸大都市で、気候温暖。18世紀にスペイン探検隊によって発見され、「聖フランシスコ」にちなんで命名された。その後、捕鯨基地として、さらにゴールドラッシュのメッカとして急成長を遂げた。そう、今でこそ「捕鯨反対!」とか言ってるアメリカ人だが、ちょっと前までは地球上で最も積極的に鯨を殺しまくっていたのはアメリカ人なのだ。余談だが、黒船が日本に来たのも捕鯨基地として日本の港を確保したかったからである。

競技最終日の夕方、一路サンフランへ。市内のホテルは観光に便利だが宿泊料金が高くペット料金も高い。私たちは清潔な部屋と熱いシャワーがあればOKだし、車の旅なので、市から南へ10マイルほどのLa Quintaに泊まることにした。ちなみに、ほぼアメリカ全土に展開するこのチェーン・ホテルは、ほとんどがペット連れOKでペット料金もなし、しかも朝はコンチネンタル・ブレックファストつき。どこへ泊まっても清潔で、サービスの質が良い。

ホテルの部屋で一休みしたあと、ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)へ。
日曜日のせいか、夕方なのにラッシュはひどくない。対岸のビスタポイントでは各国語が飛び交い、カメラやビデオをかまえた観光客でびっしり。向こう側に浮かぶサンフランの町並みがきれい。カリフォルニアだから暑いだろう、と思ったら大間違いで、海に近いここは風が強く、寒いくらいだ。事前に、サンフランをよく知る友人から「フリースのジャケットと歩きやすい靴は絶対に必要」と教えてもらって、よかった。

ビスタポイント
眺望を楽しむTABI

橋のたもとには、橋の下がどうなっているが見ることのできる通路への階段がある。橋を渡る車の轟音を聞きながら、この橋のエンジニアリングのすごさを堪能。潮風が吹き付けるこの橋は、サビを防ぐために毎年ペンキの塗り替えをしなければならないのだそうだ。大変。

橋の下
橋の下はこんなかんじ

市内へ戻り、リンカーンパークへ。夕方のゴルフコースは人もまばらで、犬を連れて散歩する地元民も。この公園には、サンフランの姉妹都市である大阪市から寄贈された咸臨丸記念碑があると聞いた。TABIを連れて歩きながら、一体どこだろう、と探し回ったがなかなか見つからない。あきらめて帰ろうかと思ったら、公園内の美術館の横にひっそりと立っているのを発見。

咸臨丸記念碑

記念碑のそばにある英語の説明によると、これは日本最初の軍艦である咸臨丸がサンフランに入港して100年を記念し、1960年に大阪市から日米友好を願い寄贈されたという。 咸臨丸は、日米修好通商条約批准のため派遣された日本政府使節団を乗せた船を護衛するのが目的だったが、咸臨丸の方が先にサンフランに着いてしまった。300トンの蒸気船で悪天候の太平洋を渡るのは大変な航海だったらしく、 37日間の航海中に三人の日本人水夫が死亡、サンフランシスコで埋葬されたという。 勝海舟ら明治維新の要人たちの目に、当時すでに発展した港町であったサンフランはどのように映ったのだろうか。

歴史の様々な思いにふせりながら写真を撮っていてふと気がつくと、犬がいない!あたりを探したら、なんとTABIはフォックステールの茂みに入りこみ、 フォックステールの種まみれになってニコニコしているではないか。あわてて引きずり出し、TABIパパと二人で必死に種をむしっては捨てる。なんで私たちが腹を立てているかわからないTABIは、耳を寝かせて困った顔で立ちすくんでいる。念には念を入れて、耳の中にも種が入っていないかよーく調べてから車に戻った。

日が暮れてきたので、夕日が美しいと有名なCliff Houseへ。
1863年からの歴史があるこのハウスは、避暑に訪れる裕福層の娯楽施設として名をはせた。火事や地震、数度の建て直しを経て今ではビクトリアン風からモダンな建物に変身し、二つのレストランをかまえる。一つは「予約のみ」のお気取り高級レストランSutros、もう一つはカジュアルなBistro。私たちは当然、後者を選んだ。どちらからも、窓から太平洋に沈む夕日を眺めることができる。夕暮れの海岸を犬と散歩する人々を見ながら、遅い夕食。TABIパパはフィッシュ・アンド・チップス、ママはチャウダーとアサリのワイン蒸し。ま、観光客相手ということで無難な味だった。

アシカ
レストランの窓から見えるシールロック。
岩に黒くへばりついているのは、アシカたち。

翌朝ホテルをあとにし、グレートハイウェイを走ってベイカービーチへ。
出発時はサンフラン名物の霧でかすんでいたが、ビーチへ着くころにはすっかり晴れ、最高の海日和となる。ベイカービーチは犬は連れてもよいがリードをつけなければならない。しかし、早朝は人もまばらで、海岸はほとんど私たちだけ。そこでリードをはずして海でボールの持ってこい遊びをする。

ビーチ
ベイカービーチ

もともとサンフランへ行きたかったのは、大西洋側で生まれて育ったTABIに、太平洋を見せたかったからだ。この海の向こうには、ママの故郷、日本があるんだよ。 太平洋は、波が高く荒々しい。大西洋ではガンガン泳いだTABIだが、ここではちょっとビビリ気味。私たちも犬が波にさらわれないよう、注意しながら遊ぶ。

ジャパンタウン。咸臨丸がサンフランの港に着いてから、一世紀半。海の向こうの故郷に想いをはせながら、日本の先人たちはこの地にしっかりと根付いていった。 一時はかなりの規模に発展したという日本町だが、第二次世界大戦中の強制収容により日系移民は立ち退きを余儀なくされ、戦後生き残った日系人も他の州に散らばってしまったという。その後少しずつサンフランに日系人がもどり始め、1960年代にはジャパンセンターがつくられ、広場には日本から贈られた五重塔が建てられた。

五重塔
五重塔

ジャパンタウンでは、道路標識も日英で書かれている。日本食レストランや日本の民芸品を売る店などが軒を連ねるが、しかし、実際に入ってみると経営しているのは韓国人や中国人であることが多い。ここは観光名所であり、非日本人には日本文化とその他アジア文化の区別はつかないから、こうした傾向はどんどん強くなっていくのだろう。なんとなくウソっぽい日本人町、というのは実は世界中どこにでも存在するのだ。

標識
日英の道路標識

看板
謎の日英看板

「サンフランシスコのチャイナタウン 夜霧に濡れて」
渡辺はま子の歌でおなじみのサンフランの中華街。ウワサには聞いていたが、広い。横浜、ロスやニューヨークの中華街より大きい。看板や道路の標識が英語と中国語で表記されているところは、トロントの中華街と同じだ。中華香辛料・乾物・生ゴミの混じったビミョーな異臭、まさにここは香港のダウンタウンとそっくり。おみやげ品も、中華街の方が同じものがずっと安く売られており、中国人の商いのうまさを痛感する。

中華街
完璧にチャイナな街の風景

お昼を食べに、フィッシャーマンズワーフへ。
レストランには犬連れで入れないので、クレープなど様々な屋台が立ち並ぶ通りを歩きながら美味しそうな店を探す。いっぱい人が並んでいるシーフードの店で、サーモンのサンドイッチを注文。揚げたパンにグリルしたサーモンをはさみ、タルタルソースとレモンをかけたもの。あつあつでとても美味しい。

お昼
サーモンサンド

観光客でにぎわい、各国語が飛び交うボードウォークをウィンドーショッピング。

屋台

サンフランシスコ・ベイエリアは犬にフレンドリーであることで知られ、「北米の犬フレンドリー都市」の上位に常にランクされている。この街では、犬を連れていると人々が気軽に話しかけてくる。フレンドリーなTABIはどこでも人気者で、いろんな人にかわいがってもらった。

犬好きな人
「たくさんお友達ができたよ」

埠頭に向かって歩いていくと、TABIが鼻をクンクンさせはじめた。そして、なにものかの吠え声。観光客がいっぱい集まって写真を撮っている39番埠頭に行ってみると、なんとものすごい数のトドが浮きドックにいるではないか。近くの看板によると、1990年にこの 何百頭ものトドたちはなぜかこのドックに住み始めたのだそうだ。臭いしうるさいが、そのうち観光名所になってしまい、そのまま追い出さずに住まわせておくことにしたそう。今では、トドの名前をつけたカフェやおみやげ物の店まである。日本だったら、「トド饅頭」が売られるところだろう。私たちも、しばらくドックで遊ぶトドの群れをながめて楽しんだ。

トド
なわばり争いをするトド

paw3.gif (869 bytes) ナパバレー

サンフランシスコをあとにし、州間高速80号線にのり東へ。途中、ワインの名産地ナパバレーに寄る。

バレーに入ると一面にぶどう畑が広がり、まるでヨーロッパの田舎のような景色。見とれていて写真を撮るのを忘れてしまった。じっくりいろいろなワイナリーを見たかったが、来る途中に交通ラッシュにひっかかって時間がなくなってしまったので、とりあえず最初に見えたワイナリーに入る。広大な敷地によく手入れされた庭園、小川を流れる清水、ちょうど南フランスの小邸宅のような外観。しかし、駐車場には観光バスが停まり、ここは個人宅でないことがわかる。TABIパパがTABIを連れて庭を散策している間に、ワイナリーに入ってみる。スパークリングワインばっかり。ラベルを見ると、"Domain Chandon"。そう、ドンペリをつくっていることで有名なフランスのシャンパンのメーカー、モエ・エ・シャンドン社がカリフォルニアにつくったのが、このワイナリーなのだ。どうりで、スパークリングしかないはずだよ。

中ではワインの試飲やワイン講座、ワイナリー見学会を催している。パティオで軽い食事もできるらしい。時間があれば、ほぼ一日をここでワイン三昧して過ごせる。私たちは時間がなかったので、長居せずフルーティーな白を二本買ってきた。

シャンパン

東海岸ではまずありえないが西部ではよく見かけることの一つが、「トラックの荷台に無造作に乗せた犬や子供」である。当然、シートベルトも何もなく、振り落とされたら一巻の終わりである。が、人々はこのようにして高速を80マイル (約129キロ)でガンガンと飛ばしている。ハイウェイパトロールも咎めないようだし、こんなことしても交通法上べつに違法でもなんでもないらしい。私たちは、こういうトラックを見たらなるべく後ろを走らないようにしている。振り落とされた犬や子供が飛んできて、うちの車に当たったらとんだ災難だからだ。

犬

paw3.gif (869 bytes) ソルトレーク

カリフォルニアからの帰途、ユタ州のソルトレークに立ち寄る。

大塩湖として有名なグレート・ソルト・レークは、すぐそばを走る州間高速80号線からもよく見える。あちこちにこの湖から塩を精製する工場があり、大きな白い山状に積み上げられた塩がいくつも並んでいる。琵琶湖の9倍の面積をもつこの湖は流れ出す川がなく、蒸発により水分を失う ため、海水の8倍の塩分濃度を保っている。高い塩分のため魚類は生息せず、ブラインシュリンプというミジンコのようなものしかいない。

大塩湖
干潟を走るTABI

私たちはマリーナの駐車場に車を停め、湖まで歩くことにした。すでに陽が落ちかかっている。遠くに見える山脈、そして干潟の向こうに広がる湖、息をのむ美しさだ。だがしかし!干潟に降りて歩き出した私たちを、ものすごい異臭が襲う。海水のニオイだけでない、なんとも形容がたい異臭。干潟のぬかるみに足をとられながら進むと、あちこちに水鳥の死骸がころがり、小さなハエが一面にたかっている。ここはマリーナというより、なんというか、自然災害の跡地みたいな惨状だ。TABIだけが、この異臭などものともせず、嬉々として走りまくっている。

大塩湖
夕日のパノラマ

夕日を眺めに来たカップルも何組かいたが、景色は確かに美しいものの、この異臭と死骸だらけの干潟はロマンチックに愛を語るには絶対向いていないと思う。だいたいこの異臭、メタンとかいろいろ混じっているだろうが、長時間ここにいて嗅いだら体に悪そうだ。TABIパパがどうしても湖の水に足をひたしてみたいというので、すでに泥でぐっちゃぐちゃの足で歩き続ける。水に近づくにつれ、異臭がひどくなる。なんと湖の水面にも小さいハエが一面にたかっているではないか!気持ち悪いったら。ちゃちゃ、っと足を水につけ、すぐに回れ右をして一目散に駐車場へ。TABIはどこだろう、と見渡したら、ドロドロの干潟の上で転がって泥だらけになってる! 嗚呼!

グレート・レークのイメージを完全に覆した経験であった。

2006614日)

アメリカ斜め横断引越しの旅へ

banner ホームへわんちゃんと旅行トップへ

Copyright 2000 to Infinity, superpuppy.ca