カナディアン・ビューティー
沈黙する少年 |
これは、友人の近所で数年前に実際に起きたことである。
夜11時。
システム・アナリストのSteveと彼の妻は、玄関ドアをたたく音で目を覚ました。
向かいの家の8歳になる男の子が、パジャマに裸足で
「助けて…パパとママが…」
と、泣きじゃくっている。
Steveは、妻を残して男の子と向かいの家へ急いだ。
玄関の大理石の床に、点々と血痕。
キッチンでは、真っ赤な血の海のど真ん中で、その家の主婦が目をむいて仰向けに倒れていた。
男の子は、両親が口論の末、父親が母親を包丁でメッタ刺しにして出ていったのだと言った。
Steveは、震える手で警察に電話をし、さらに自宅にかけて妻に一部始終を話した。
そして、このうちにはもう一人、15歳になる男の子がいることを思い出した。
8歳の子を連れ、二階へかけのぼる。
少年の部屋からは明かりがもれ、ピコピコとゲームの電子音が聞こえる。
部屋で少年は、コンピュータに向かいゲームに興じている最中だった。
弟は兄に向かい、
「お兄ちゃん、大変だよ、ママが死んじゃったよ!」
と泣き叫んだ。兄は、眉ひとつ動かさずにこう言った。
「へえ…今いいとこなんだよ。あっち行ってろよ、うるせえな」
カナディアン・ビューティー |
「アメリカン・ビューティー」という映画がある。
99年度のアカデミー賞受賞作で、私も大好きな作品だ。
一見理想的で平和な家庭も、中身をバラせばいかに空虚で偽りに満ちているか、夢の終焉がいかに残酷に訪れるか、を描いたシニカルでダークなコメディー。
主人公の中年サラリーマンは、娘が幼かった頃の家族の写真を眺め、幸福だった時代をなつかしむ。
いつから歯車が狂ってしまったのだろう?バラバラになった家族の心は、もう元へ戻らないのか?
タイトルの「アメリカン・ビューティー」は、主人公の妻が丹精こめて育てている赤いパラの名前だ。
様々な意味がこめられているが、一つはアメリカ人が夢見る理想の家庭の典型像とその正体とのギャップを皮肉ってそう呼んでいる。
こんな家庭は、世界中にあるだろう。カナダにだって、そこら中にころがっている。
Steveの住む界隈は、中流家庭の住宅街だ。
医者、弁護士、会社経営など、夫婦ともにキャリアをもつ年収の高い層が集まっている。
車2台が入るリモコン付きのガレージ、ボートやキャンピングカーが停まる広いドライブウェイ、プールのあるバックヤード。
一家庭に平均して子供は二人。私立学校で教育を受けさせ、女の子はバレエ、男の子はアイスホッケーの練習に車で送り迎え。
どこから見ても、裕福で幸せそうな理想的家庭ばかり。
この事件が起きたうちだって、近所では評判の仲良し一家だった。
しかし実際は、内部はシロアリに食い荒らされたように崩壊寸前だったのだ。
妻は離婚を決意していた。弁護士とも話をつけていた。子供達は引き取るつもりだった。
夫はまだやりなおせると信じていた。子供達と離れるのも耐えられなかった。
そんな両親の間で育ち、二人の少年達はそれぞれに心に傷をおっていた。
警察が父親を連行する時、母親の葬式、終始泣きじゃくっていた弟と対照的に、兄のほうは全く感情を顔に出さなかった。犯行当夜も、階下の物音や叫びを一部始終聞いていたはずなのに、沈黙したままゲームに興じていた。
惨状のあと、少年達は親類へ引き取られ、家は売りに出された。
買い手はすぐついた。良い住宅街の、比較的新しい瀟洒な二階建てだから人気が高い。
新しい住人は、やはり夫婦ともにキャリアを持つ子供二人の一家だ。
私が週末見かけたところ、父親のほうが鼻歌を歌いながらミニバンを洗車していた。
こんな家庭を見ると、日本からの観光客や留学生はたいてい
「いいですねえ、カナダって。みんな優雅で幸せに暮らしてますね」
と言うのだ。
私は、心の中でひとつため息をついてから、こう言うことにしている。
「ええ。みなさん幸せそうですよね」
(2001年9月30日)
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