プーさんのゆくえ
|  プーのふるさと | 
ハチミツが大好きな、赤いセーターを着た黄色いクマといえば?
  そう、「くまのプーさん」。
  ディズニーの映画とキャラクター販売で世界中にその名を知られることになった、世界で最も有名なクマだ。

  TABIママもプーのファン
このお話がディズニーのオリジナルだと信じているアメリカ人親子も多い。
  賢明な読者諸氏ならご存知のことと思うが、これはイギリスの作家、アレン・アレクサンダー・ミルンが息子のクリストファー・ロビンのために書いたお話、"Winnie 
  The Pooh" が原作である。
日本では「プーさん」と呼ばれているこのクマだが、英語圏では"Winnie"の愛称で通っている。
  その名がどこから来たのか?
  知っている日本人は多くはないのではないか。
1914年、カナダ軍将校ハリー・コルボーンは、ひょんなことからみなしごのメスの黒クマを引き取ることになった。
  イギリス生まれでカナダのマニトバ州ウィニペグで育ったコルボーンは、このクマをWinnipegと名づけた。このひとなつこい子グマはたちまち兵士たちの人気者になり、Winnieの愛称でかわいがられた。第一次世界大戦中、カナダ軍がイギリスに出兵する際にも、この子は一緒に海を渡った。
|  さよならWinnie | 
しかしヨーロッパの戦況は悪化し、コルボーンはWinnieの身の安全のため、彼女をロンドン動物園に引きとってもらうことに決めた。
  その後Winnieはロンドンっ子たちの人気者になり、1934年に亡くなるまで人々に愛されたのである。
1926年、作家ミルンは最愛の息子クリストファー・ロビンのために、子供部屋のぬいぐるみたちをモデルにしたお話を書こうと思いたった。
  ある日、クリストファー・ロビンとロンドン動物園に人気者のクマを見に行った彼は、お話の主人公のクマをWinnieと名づけることに決めた。
  そのお話にE.H.シェパードが挿絵をつけた童話が完成し、この愛らしい物語はイギリスで一躍ベストセラーとなったのである。
時は流れて1966年、ウォルト・ディズニーがこの童話を初めてアニメーション映画化する。
  それまでアメリカでは知る人がほとんどいない物語だったが、ディズニー本人がたいへん気に入っており、原作にないキャラクターも彼の強い希望で生み出され、当時の一流のディズニースタッフ陣によって見事なアニメーションに仕上げられたのである。
その後、「クマのプーさん」は世界中で人気者となり、ミッキーマウスに次いでディズニーを代表するキャラクターに成長した。
お話のクマはオスだが、そのモデルとなったのはメスだったというのはおもしろい。
  Winnieの故郷、カナダのマニトバ州アシンボイン動物公園には、彼女とハリー・コルボーンの像がある。毎年8月には、ここで「クマのプーさん祭り」が開かれる。
なぜ「プーさん」なのか?については、いろいろな説があるようだ。
  私が聞いているのは、こんなエピソード。
  もともとは"Winnie The Bear" 
  と呼ばれてロンドンっ子に愛されてきた黒クマのWinnieだったが、幼いクリストファー・ロビンが"Winnie 
  The Pooh"と呼び始めた。
  ミルンが、
  「どうしてプーなのかい?」
  と聞くと、
  「よくわかんないけど、プーってかんじがする」
  と答えた。
  そこで、ミルンは童話のタイトルを"Winnie The Pooh"にすることに決めた、というものである。
カナダで生まれたクマが、イギリスに渡って童話の主人公になり、アメリカで映画化され、世界中の人々に今も愛されている…
  あの黄色いクマの無邪気な微笑みの裏には、こんな思いがけない感動的な歴史が隠されているのである。
(2001年7月30日)
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